ガラスの蒸留器再現記
突然かかった一本の電話。
『ガラスのコーヒー入れを再現してくれませんか?』
大正時代までさかのぼる、
徳島とドイツのつながりの中で現れてきた
ガラスの話。
この春、公開になった映画、『バルトの楽園』って、御存知ですか?
暴れん坊将軍で有名な、松平健が主演した映画で、
第一次大戦の敗戦国、ドイツの捕虜と、
収容所の所長(松平健)の心温まる交流を描いた感動作だったんだけど、
実はこの映画の舞台、徳島なんです。
しかも、僕の住んでる町のすぐ近所の鳴門市!
この話、大正時代にあった実話で、
そんなわけで、かつて収容所のあった場所に、
日独の友好を記念して
“鳴門市ドイツ館”なる建物が建っているのですが、
しばらく前、このドイツ館の職員の方から一本の電話が…
『…ガラスのコーヒー入れを再現してくれませんか?』
…?????…最初は、一体なんのことやら・・・。
詳しく聞いてみると、このドイツ館に保管している資料の中に、
当時、捕虜だったドイツ兵が、
コーヒーを入れる際に使っていた蒸留装置(らしい)のメモ書きが残っており、
それを再現できないかとのこと。
で、できれば、年に一度のドイツ館のお祭り
“ドイチェス・フェストinなると”で展示したい!
これは、ガラス屋としては、なかなか気になる話じゃないですか。
とりあえず、まずは、そのメモ書きを見せて頂くことに。
本物は、貴重な資料なので写真とコピーを見せて頂きました。
ご覧の通り、これだけではちょっと…
そうしたら、もう一枚、当時の収容所内にあった、
化学実験室の資料に載っている蒸留器のコピーも用意していてくれて、
これなら分かる!
![]()
収容所の資料の古書より抜粋
<写真をクリックすると拡大します>
この蒸留器、ガラスに関心のある人なら、見たことあるはず。
幕末頃、江戸のガラス問屋“加賀屋”の
引き札(商品カタログみたいなもん)にも同様のものが載っていて、
正式には『レトルト』というらしい。
![]()
加賀屋引き札(由水常雄著 ガラス工芸歴史と技法 桜楓社 H4年発刊)抜粋
左上中央よりにレトルトが載っていますね
<写真をクリックすると拡大します>
ここで、ちょっと余談の話。
こういう理化学機器は、耐熱性のガラスで出来ているものがほとんど。
耐熱ガラスの歴史は意外に古く、13~14世紀頃のイスラムグラスでは、
すでに、医療用のガラス器の製造が行なわれていたらしい。
思ったより古い耐熱ガラスの歴史に、目からうろこです。
さて、このレトルト容器、再現するには一つ大きな問題が…
残念ながら、徳島ガラススタジオのガラスは、一般的なソーダガラスで、
耐熱ガラスではないということ。
う~ん、実に残念!
でも、そのことを話したら、当時の雰囲気が出るならお願いしますとのこと。
それでは、やってみましょう!
資料の絵から見ると、ろうそくの炎で沸かしていることから、
球体部分は、おおよそ12~3cmぐらいの径と想像。
それを基準に、斜め横に伸びた管部分を20cm弱と設定。
さっそく吹き場で制作です。
理化学機器いうことから、
きっとガラスの厚みも薄く出来ているに違いないと、
出来るだけガラスを少なく棹に巻いて、軽く吹くように心がけました。
少ないガラスを薄く薄く伸ばしていくのは、なかなか大変!
すぐにガラスが冷えてしまって、全然細く伸びない!
やっといい感じに伸びたと思ったら、
今度は、球体部分のためのガラスが足りない!
試行錯誤の末、やっと完成したのがこれです。
高さは、約25cm。
ついでに、蒸留水を受けるロート部分も再現してみました。
最後に、レトルトとロートを置く三脚も、鉄を溶接して作って、出来上がり!
どうです、ほぼ絵の通りでしょ。
実際には無理なのですが、とりあえず雰囲気を出すために、
ろうそくに点火して、撮影してみました。
“ドイチェス・フェストinなると”の展示の当日は、
ロート部分にコーヒー豆を入れてもらいました。
もちろん、火のついていないろうそくもね。
ところで、新たな疑問が…
果たして本当に、ろうそくで水を沸騰させることが出来たのでしょうか?
考えてみると、ろうそくって、
燃えていくにしたがって、段々背が低くなっていくよね。
背が低くなれば、当然、レトルトに炎が当たらなくなるし…。
しかも、ろうそくの炎の大きさって、たかが知れてるじゃないですか。
ひょっとして、当時は、とんでもないハイパワーのろうそくがあった?
・・・などと、とりあえず深く考えないようにして、
とにかく納品して満足頂けた次第です。
でも、当時、何でわざわざこんな大掛かりな方法で
コーヒーを入れたのでしょうか?
ドイツ館の職員の方に聞いてみたところ、
その頃の捕虜収容所は水道が無く、
近くの小川から水を引いていたらしく、水が悪かったのかもと…。
う~ん、納得!
…と、思っていたら、もっと有力な理由が!
これは、今回の“ドイチェス・フェストinなると”に出店している、
コーヒーショップ『Cafe Kastner (カフェ ケストナー)』の
オーナー佐藤文昭さんから聞いた話。
ヨーロッパの飲み水のほとんどは、鉱物成分の多い硬水で、
直接コーヒーを入れるのには適さないらしく、蒸留して使うのが一般的だとか。
日本では、軟水なので、わざわざ蒸留しなくてもコーヒーは入れられるのですが、
そういう入れ方(蒸留する方法)を、当然のように母国でやっていたドイツ兵は、
ここ日本でも同じ方法でコーヒーを入れたのではないか、と…。
~なるほど~!
当時、ドイツ兵が飲んだコーヒーは、どんな味だったんでしょうね。
いつの日か、レトルトを耐熱ガラスで作り直して、
その味を楽しんでみたいと思うのでした。
参考までに、取材を受けた新聞の掲載記事を。
(画像が悪いの…ごめんなさい)ちょっと話題になりました。
※関連する記事
ブログって!とくしま >>
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コメント:2個
蒸留器の再現、大変興味深く読ませていただきました。
コーヒーを沸かす習慣などなかった当時の徳島の人がレトルトを最初に見た時の驚きが垣間見えるようですね。
制作する時、レトルトのクビの曲げ具合は、さぞ難しかったでしょう。折れ曲がってくっついてしまいそうで・・・。
ガラス部分だけでなく、三脚まで作られたというのを見てビックリです!。
加賀屋の引き札の資料も楽しいですね。
やっぱり昔からカタログはあったんだな~。
yuraさん、コメントありがとうございます。
コーヒー入れと言っても、基本的には、理科の実験機器の転用でしょうね。モノの少なかった、当時の捕虜達の苦労と工夫がしのばれます。
レトルトの再現は、形は比較的簡単に作れたのですが、目的の薄さに吹くのに苦労しました。
まだまだ、修行が足りないと反省してます。
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